留学生の声

「留学-心の成長への捷径」

弘前大学 理工学部1年

チン ジー シン (マレーシア)

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 中学三年生の時、初めて東京に旅行した。そのとき私は日本人のマナーにかなりのショックを受けた。そのとき私はまだ日本語を勉強していない状態で、私が道に迷ったときに、相手は英語がわからなくてもジェスチャーで親切に教えてくれて、私たちを行きたいところまで連れていってくれた。この出来事から、私は日本という国に対して深い興味を持ち始めた。国民に対してどんな教育を行ったのか、こんなに優れた国民性はどうやって鍛えたのかと、いろいろ疑問を持って日本留学を決めた。

 帝京グループの日本語学校の分校がマレーシアにあって、私はそこの20か月のコースに進んだ。元々何人かの友達が一緒に来ると言っていたが、結局私しか行かなかった。ここで日本の大学に入るための試験勉強もするが、日本の高校生が三年で勉強したことを私たちは一年間に終わらせなければならならない。それは私の今までの人生の中で一番大変な時期であった。

 ようやく20か月が終わって、先生のおすすめの通りに弘大を受験した。当時はこの大学しか受験しなかったため、もし落ちたらもう日本に行けないと思い、必死に受験勉強をした。合格発表の日のことは今でも記憶に深く残っている。そのとき私はマレーシアにいて、友達の卒業式の会場の外で、携帯を持って何回も何回も合格発表のページを更新しながら待ちました。やっと結果が表示されて、自分の番号を見つけた時の興奮状態は、もう言語で説明できるものではなかった。もしその時自分の番号がなかったら、今の私はどんな道を歩んでいるのかとよく思う。

 日本に来る前、私は20年間ずっと家族と一緒に住んでいた。そのせいでもあるが、自分で生活することは、留学が決まるまでは考えさえできないことだった。自分で服を洗って、ご飯を作って、部屋を片付けて、買い物をして、郵便局や市役所などに色々な手続きをしに行く…これら全部は実家にいると自分でやる機会がなく、実は自分でできるのだと思わないことだった。留学は子供に独立させるいい機会だと思った。その理由は、一人暮らしの時「したくない」ことは気付かないうちに全部「しなければならない」ことに変わってしまうからだ。

 弘大に入学してから楽しいサークルに入って、いろいろな面白い人に出会った。授業で先生の話し方が速すぎて半分しかわからなかったが、今までの大学生活には大満足!前言ったように、一人暮らしは初めは大変だったが、だんだん慣れてくるとやはりその自由さは最高!

 「自分の選択に後悔しないこと」は、私のモットーとしてずっと大切にしてきた。育った環境から離れることは悲しみや苦しみもあるが、新しい生き方を見つけて、自分の限界まで挑戦するのが私の人生の目標である。これからも純粋な心で頑張り続けたい!

 

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