留学生の声

「留学とは人との転機?」

弘前大学 農学生命科学部1年

ルーティゴックマイ(ベトナム)

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 「人は一生の間に一度でも是非母国以外の国に行くべきである。」や、「外国に行けば世界を広げられる」など、ある人が言いました。留学って名付けの通りに外国に留まり学ぶことです。世界中のいろんな人々に出会えて自分の考え方も多角度に開かれるかもしれません。特に、発展途上国のベトナムに対して先進国である日本で留学することができれば、将来自分の国のために何か貢献できるかもしれないと思いました。

 ただ、なぜ日本なのかは、正直にいうとはっきりわかりません。ただ、人はみな個性を持っており、まったく同じ人は絶対に存在しません。私は高校を卒業してから同級生の友達と違う別の道を選びました。6ヶ月間ベトナムの日本語学校に通ってから日本に来ました。ベトナムの日本語学校で日本の事、ベトナム留学生の事そして在日している先輩や帰国した先輩の事などを知る中で、これは私の道だ、私の目指すべき将来だと頭の中に思い浮かべていました。

 しかし、自分が思っている程、将来へ行く道は簡単な道ではなかったです。ベトナムは日本より貧しい国なので、私費留学生の私の学費を、親からの仕送りを大学4年間もらおうとすると全く足りません。そこで、仕送りを受け取らず、自分でアルバイトしながら生活費、学費を全部払いました。来日してから2年間、盛岡の日本語学校で日本語、日本生活、日本の文化特に日本の国立大学に入るための勉強、そしてアルバイトをして過ごした後、弘前大学に入学することが出来ました。

 弘前大学の入試試験日を振り返ると、何ヶ月も前のことではなく昨日のことのように感じられます。当日、面接試験があり、面接官の先生が「なぜ日本に来ましたか?なぜ弘前大学を選んだのか?」という質問されました。そして、日本で勉強した事をベトナムに帰って貢献しますと答えたら、その先生が「聞くだけでもすごいですね」と言ってくれました。その時はうれしいという感情はなく、不安ばかりでした。そこで「先生、嘘ではないです、私は本気で答えました。身長は150cmで体が小さく見えるけど、体より何倍も大きな夢を持っています。」って先生に伝えました。結果として、弘前大学の学生になる事が出来ました。

 弘前での生活が始まってからずっと、盛岡に帰りたいと思っていました。盛岡にいた時はなんでも日本語の先生が助けてくれましたが、今はなんでも自分で考えて決めてやるようになりました。アルバイトは3、4回探しても、外国人だから採用しない、外国人だから時給を減らすなど、アルバイトを始めても最初は人間関係がうまくいきませんでした。他にも、大学の講義で一緒に受講した人でも、外で会えば全く知らない人のふりをされたり、冷たい顔をして話しかけてくれなかったりしました。その時私は、「なぜだろう?」と疑問に持ち、悩んでしまって、それは相手のせいだ、私のせいではない、と考えてしまいました。しかし、自己反省してやっぱり自分のせいだと思いました。人から話しかけられなければ終わりというわけではなく、自分からも話しかけてみればいいだけだと、自分が考えすぎで、一人で悩んでばかりは良くないことだと反省しました。弘前での生活に少しずつ慣れてきて、弘前市私費留学生就学援助事業のおかげで、弘前市内のいろんなイベントに参加し、地元の人と接する機会も増えました。そして、弘前市内の日本企業で働いているベトナム人たちの日本語を向上させるため、私がボランティアで日本語を教えることもありました。クラスの友達もアルバイト先の人も親切にしてくれるので、毎日笑顔いっぱいで過ごしています。

 「人との出会いを宝にしてでっかく生きろ」というモットーを胸に刻み、私は毎日出会えた人との関係を大事にすることで、自分の人生も少しずつ多様になり、視野が広がると信じています。大学の勉強もアルバイトでの経験も、全てを糧にして自己実現に繋げようと思っています。弘前に住むのは私の一つの縁だったのか、弘前に来てから自分の考えも人との関係も以前より良くなったと実感しています。多くの留学経験者が言うように、私にとって弘前大学での留学は人生の転機です。これからも精一杯前向きに進んで成長します。

 

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